宝篋印塔

本堂向かって左手の築山の陰に宝篋印塔がある。現高約130cm。長短の切石を組み合わせた上下2段からなる基壇を備え、花崗岩製の非常に個性的な宝篋印塔が立つ。基礎は幅に比して高さが低く、上は抑揚のある複弁反花式とし、側面を3区に分けて輪郭を巻く。輪郭内は無地。反花は彫りがしっかりして間弁の省略も見られず、側辺との距離があって、塔身受が高く削り出される点は古い特徴といえるかもしれない。塔身は月輪を陰刻し、金剛界4仏の種子を入れる。種子は雄渾なものではない。笠上は8段あり、下2段。隅飾は素面二弧で小さく、軒と区別している。笠上は異例の8段という多さに加え、隅飾が小さく、しかも各段に傾斜がついているため、ピラミッドのように見える。相輪は九輪の6輪以下を欠損するが風化の程度や石質から一具のものと見られる。残存する九輪は太く上の請花は風化ではっきりしないが単弁のようで、九輪、宝珠との境のくびれは小さく、宝珠は球形に近い。表面の風化が進んでいるが、全体として保存状態は悪くない。また、基壇下段は高さを持たせて、塔下に空間を設け、上段では南側の短辺の切石の中央下側を径10cmほどの半円形に彫り窪ませている。これは、この部分の切石を可動式とし反復継続して塔下のスペースを使用とするためのものと推定され注目される。塔下には蔵骨器などを埋めた埋納施設があるはずである。同様の基壇を持つ石塔が付近にいくつか見られる。この基壇は当初から塔と一具のものと考えられる。紀年銘は確認できないが、基礎3区、笠上8段という構造形式は、異例というより異形というべきものである。当初は6尺塔であったと思われる。参考とすべき類例がほとんど無いに等しく造立時期の推定は困難だが、軒と区別した隅飾と基礎の反花の形状から鎌倉時代後期ごろと考えたい。低い基礎側面を三区に分け、反花座と塔身受を高くするデザインは京都市東福寺一条家塔に類例がある。(※)いずれにせよ、この塔は、滋賀県下でもほとんど類例を見ない非常に個性的な形状で、希少価値が高いものである。惜しくも相輪の一部を欠くものの、基壇を含め各部が揃っており、その意味でも貴重なものである。

 

参考

滋賀県教育委員会編『滋賀県石造建造物調査報告書』141~142ページ